青森ねぶた制作団体「我生会」応援サイト

2010年下絵 公開

2010年 奥州筆頭独眼流政宗東北電力ねぶた愛好会
奥州筆頭「独眼流政宗」
穐元和生作

  「不動明王は外は剛ですが、内は慈悲を備えた優しい仏なのです」と、名僧・虎哉宗乙禅師の説明に「梵天丸も、かくありたい」とつぶやいた。
 「強き力を以て悪を砕き、民を護る不動明王のようにありたい」左眼半眼の不動明王と病気で隻眼になった自分を重ね合わせ、自分もこうありたいと心に誓ったという。
 天正17(1589)年、昇り竜のごとく、金色の細い三日月の前立兜に黒漆の甲冑、北斗七星を入れた軍配を手に、騎馬鉄砲隊の前線に立ち、速さと破壊力を兼ね備えた戦法で、奥州筆頭「独眼竜政宗」の異名を天下に轟かせました。

 豊臣秀吉、徳川家康の天下人が、認めながらも恐れた奥州の羅王「伊達政宗」は、絶体絶命の窮地を並外れた知恵と度胸で乗り越えた、戦国時代を代表する武将の一人である。

 

2010県庁下絵

青森県庁ねぶた実行委員会
安倍貞任と八幡太郎義家
大白 我鴻作

 

 

 

 

 

 

2010年三国志演義董卓と呂布

あおもり市民ねぶた実行委員会
三国志演義「董卓と呂布」
京野 和鴻作

 董卓(とうたく)は、極悪非道と云われているが、知略と武芸はともに優れ、馬上で左右のどちらの手でも弓を引くことができたという。
死後、董卓の屍(しかばね)はさらしものになり、へそに火をつけたら三日三晩燃えつづけたという逸話が残っている。
 一方、呂布(りょふ)は、腕力が常人よりもはるかに強く、弓術・馬術にも秀(ひい)でており、自らを龍と例えている。「虎牢関(ころうかん)の戦い」では、希代の名馬・赤兎馬(せきとば)に跨り、張飛、関羽、劉備と三対一の戦い「三英戦呂布」は有名である。

 時は、中国後漢末期、霊帝死後の混乱の中、董卓は天下の諸侯達を首都洛陽を集め、皇帝を廃立し弟の協皇子を新帝と発表した。これに、ただ一人反対したのが、丁原(ていげん)で、後ろには天下無双の豪傑、呂布(りょふ)が立ちはだかった。

 三国志最大の悪役と誰もが認める董卓、三国志最強の武将・呂布の初戦の場を再現しました。

 

2010年市役所下絵

青森市役所ねぶた実行委員会
蒼海公と始皇帝
外崎 白鴻作

 

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 2010年下絵 公開

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://nebutaclub.s10.xrea.com/mt5/mt-tb.cgi/100

コメントする